・弥郡氏館が何時頃築かれたのかは判りませんが能登国志津良荘大沢村の地頭を歴任した弥郡氏の居館とされます。
弥氷氏の出自は不詳で、一説には武蔵国を中心として上野国、下野国、相模国等まで勢力を広げた武蔵七党に数えられた丹党の庶流とも云われています。
弥郡氏は室町時代に能登国守護稙の吉見氏に従っていますが、吉見氏も武蔵告横見郷を本貫としている事から吉見氏と共に能登に入部したとも考えられています。
永和5年正月11日に発布された大沢村地頭弥郡時具の譲状が残され、「しつらのしやう大さわむら」と記されており、この頃には既に当地の地頭だった事が窺えます。
その後、能登国守護職となった畠山氏に従い、上大沢村、下大沢村、黒杉村等を支配し、戦国時代までの10通の弥郡文書が残されており、貴重な事から石川県指定文化財に指定されています。
江戸時代に入ると、後裔である筒井家が十村役となり周辺の村々も管轄しています。
弥郡氏館は背後の断崖と正面の西二股川に挟まれた河口近くに設けられたと考えられています。
現在は宅地化された為、集落内に埋没した形となり目立った遺構は失われたようです。
又、集落の外周部には日本海から吹き付ける強烈な北風を防ぐ為、高さ4〜5mのニガタケ(メダケ)を編み込んだ「間垣」が設けられ、独特な集落景観が残されている事から、周辺を含む石川県輪島市大沢町及び上大沢町全域の1490.8ヘクタールが国の重要文化的景観に選定されています。
石川県:城郭・再生リスト
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